教育における質と量

教育のお話.

もちろん、最終的には知識量が問われる場面もあります。

が、ここでも書いたように、一番重要なのは頭の中に「回路」を作ることなのです。

近論理的な回路。

数学的な回路。

科学的な回路。

芸術的な回路。

文化的な回路。

歴史的な回路。

「センス」あるいは「モード」と言い換えてもいいかもしれません。

教育の「量」も「質」も、最終的にこういった「学習オートマトン的回路」を形成するためにデザインされなくてはなりません。

http://d.hatena.ne.jp/sivad/20070324#p1

その通り.
しかし,現在「量」以外の簡潔かつロバスト尺度が存在しないし,これからもそうでしょう.

ここで「量重視」というのは消化された知識量の多寡を測ること,「質重視」というのは回路が作られているか点検することくらいだと思います.ペーパーテストを考えるとわかりますが,当然量を測る方が簡単です.に対し,「回路が作られている」かどうかをチェックするのは非常に難しい.もちろん,きちんとした検査官(=教師)が丁寧にチェックすればできるわけですが,時間も(検査官の)労力もかかる.さらにこれが難しいのは,「検査官」がタコだとどうしようもない.

さて,そこで取られる手段が,「量の計測で質を近似的にチェックする」ということです.まあモンテカルロシミュレーションのような.
これは,質と量にはたいていの場合,相関があることが多いためです.
もう少し言うと,「ちゃんとした回路が備わっている」ならば「消化できる知識の量も多くなりやすい」し,「備わっていない」ならば「知識量は少なくなりがち」.もちろん,これはあくまで相関であって因果ではないのですが.

ともかく「質を(近似的に)測る」,簡潔な方法というのは「量を測る」ことでもあるわけです.さらに量という比較的客観的な目盛りがあるのだから,熟練した検査官が不要,という意味で「ロバスト」でもある.このようなことから高校から大学くらいまでの教育では「量」が重視されるわけです.ちなみに量による近似では話にならなくなってくると(大学院とかね)徒弟制度的な教育がとられることが多いようですね.
あ,ここまで「測定」を議論していて「学習」には言及していないようにも見えるかもしれませんが,「学習」はフィードバック系ですから,ここんところが大きなの論点の一つとなります.もう一つの論点はもちろんアルゴリズム的な「方法論」ですが,これはまた別の話.


・・・・しかし,質評価の代替手段として用いられている量評価なのに,量自体を誇る人(e.g., 立花さん)がいたり,また上記の相関を因果だと誤解する人もいたり(e.g., 立花さん?そこまではひどくないとは思いますが…),もしくは量自体に重きを置くような議論がされることが問題だったりもするわけですが.