フラバン茶

フラバン茶ってのがあるのですが,そのCMがいつも気になります。

長塚京三さんが
垂れ幕で「サラサラは一日にして成らず」「継続はサラサラなり」と二つ出して
続けて

「言い回しは異なりますが,意味するところはほぼ同じ
 フラバン茶の継続飲用をおススメしているわけです」

とか言うのですが,ここが気になるのです.

意味するところはちゃうやろー 「継続」は「サラサラ」のいわば必要条件(の対偶)と十分条件やから論理的にそれぞれ全然ちゃうやろー 百歩譲ってそれは意味するところじゃなくて単なる主張やろー とCM見るたびに思ってしまうのです.(注)

・・・とかいう風にあのCM見て気になる人いませんか?
いらっしゃいましたらお友達になりましょう.

↑これだから理系は・・・とか言われそう.




(蛇足的説明: 「サラサラは継続していないならば得られない」=「継続していない→サラサラではない」は「サラサラである→継続している(た)」の対偶,「継続している →サラサラである」で,必要条件十分条件がひっくり返った論理関係っていいたいんですけどね.)