数学世界の共有性

自分が書いたことに,自分が想像していた以上のフィードバックが来るとそれはそれは嬉しいものです.

ということで,数学世界は実在するかという思わぬ言及をいただき,嬉しさみたいなものをかみ締めている次第ですが.
ともかく,sivadさんのおっしゃりたい本題とは(恐らく)若干異なるところに反応.

デカルトを持ち出すまでもなく、世界が自分の思考によって出来ているのではないかという「妄想」に子供の頃一度は取り付かれるものだと思いますが、もしかすると数学世界において人類の精神はリンクしているということなのかもしれません。

あれ、ユング

ユングもそうですが,私のイメージからすると,むしろチョムスキーですかね.

と言っても,ユングチョムスキーも読んだことがないので推測ですけれど.
ユングが言っている集合無意識というものは,社会や言語が副次的にもたらす影響だと,私は理解しています(見当違いだ!と怒らないでください>識者)
ということで,数学世界はユングの集合無意識的に共有される,というのはそれはそれで納得するわけですが,その場合「人類」という大きな括りで見ると,言語の違いがネックとして多少あるような気がする.
じゃあ言語の違いに関わらず,人間が何らかの言語を操ると言う事実に注目すると現れるのが,生成文法ということで.普遍文法を供えた脳は,数学世界に生きているのかもしれない,とわたくしはつらつらと夢想するのでした.