英語力

住みたいところにすめる俺というところにあった記事,日本人と英語の関わり方 その3を読んで.

孫引きではあるが,中島さんという方により書かれた本の内容によると,

この調査はカナダ育ちの高校生・大学生(日本からの移住者子女)を対象に、語学力と帰属意識との関係を調べたものです。
語学力テストの結果、
(一)英語も日本語も強い(両言語高度発達型)
(二)英語の方が強い(英語ドミナント型)
(三)日本語の方が強い(日本語ドミナント型)
(四)英語も日本語も弱い(両言語低迷型)
という四つのグループに分かれたのですが、特記すべきは両言語が高度に発達した(一)の「両言語高度発達型」の若者たちでした。彼らは違和感なく二つの言語が使いこなせるばかりでなく、「日本人」とか「カナダ人」とかの枠を超えた新しい「国際人」と言えるような、新統合型の帰属意識をもっていました。

ということで,かなり興味深い.
フラット化する社会に非常に自然に適応していくのは,この「新統合型の帰属意識」を持つような人々ではないかと思う反面,若干恐ろしいような気がするのは, このような人たちが日本という国に対して特別な愛着を持っていなさそうであること.そういうことになぜ不安を感じるかというと,私が自分自身を強く日本人として認識しており,それを多少なりとも気に入っているからではないかと思われる.ともかく,帰属意識に関する議論は面白い反面,自分の中で練りきれていないのでとりあえずは触れないでおく.

で,後半.

以前TOEIC関係のエントリーで「TOEICのスコアは他国はエリートだけが受けていて、日本はレベルの低い人も大勢受けているから、点数が低いのは仕方がない」、というコメントも多くいただいた。そのとおりだが、日本は総体として、そういう他国のエリートと戦っても勝ってこれたからこそ、これまでの繁栄があったのではないのかとか思う。
それをあっさり、それは仕方がない、というのでいいのかなあ。

…そうなんですよねえ.と半分同意.

この半分同意というのは半分は同意していないということで,どこに同意していないかというと,(色んな意味で)レベルの低い人も込みで「日本の総体」を論じていそうなところ.実際のところ,日本人の多くが英語を流暢にしゃべる必要があるかというと,そんなことはないだろう.ある程度以上の市場が国内にある日本においては,英語といえば「hello, how are you」くらいを知っていれば十分.
問題は「レベルが中の上以上」*1であるべき人に関してすら満足な英語力がないのではなかろうかということ.

なんの裏づけもなくイメージだけで言っていますが,現代日本ではエリートと呼ばれる人たちの英語力もあんまりたいしたことがないような気がする.(とか偉そうにいうと私には英語力がありそうですが,そこら辺は棚に上げて…)
「日本の総体」力というのがどこで図られるべきかはよくわからないのだけれども,強く思うのは少なくとも上位1割の人間*2はTOEIC800点以上くらいは取って置いてもらいたい,ということ.そこら辺が,ある程度の頻度をもって他国の人と接する人たちが,他国の人たちとやり取りするために(やりあうために)必要な最低限必要なレベルではないかと.この上位1割のイメージは,大雑把に言うと,大学受験で言うならば旧帝大と有名私立にいっている人たちくらいかなあ.一学年(社会人になって「学年」もなにもないが…)5〜10万人くらい.

と同時にそれらの人には国語力(日本語力),科学的素養,歴史的素養などをできるだけ磨いておいてほしいとも思うのでした.そこら辺が,他国の人たちとやり取りする上で現れる人間力というか厚みを生み出す力となるので.

このごろ良く思うのは,日本語という言語を母語として持っており,それに基づく(世界的に見ると若干変わった)文化背景の下に育つということは,どんどん各種需要がニッチ化する現代においては結構なアドバンテージであるということ.しかし,そのアドバンテージを生かすためにはやはり発信能力としての英語能力が最低限必要ということで,ここらの折り合いをどうやってつけていくかというのがつくづく重要だなあと思うのでした.授業時間を減らしている場合ではない(最近,ゆとり教育は見直されているみたいですが)

*1:読み返してみてあわてて追記.ここで言う「レベル」というのは,例えば英語学力レベルとかいうものを漠然と書いているだけであって,人間の質について言おうとしているのではない.他国人と頻繁にコミュニケーションをとる必要が強そうな層のことを指すつもりで書きました

*2:ということで,ここも先の脚注と同様.